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Author:seikaiji02
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報恩講によせて2019 |
「亡き人を諸仏として頂く」
九月の終わりごろから内日角では訃報が続いています 身近な人との別れは、特別な感情を抱きます
ニュースなどで見られる災害や事故による死
それは三人称の死です 災害や事故で何十人死亡というニュースを見ると 気の毒だな…かわいそうだな…と気持ちが湧きます しかし その死は 自分にとってはどこか他人事で日常に影響を与えるようなことはありません
ところが、身近な人の死は違います もう会えなくなる悲しさ 一緒にいた時の楽しい思い出 残された寂しさ それらが入り乱れて特別な感情になるものではないでしょうか 日常生活も変わります 三人称の死に対して 二人称の死と言われます
大事な「あなた」の死です
「亡き人を諸仏として頂く」という言葉があります これは浄土真宗でよく言われる言葉です 亡き人を供養の対象ではなく 自分にとって生き方を教えてくれる先生として考えると言ってもいいかもしれません 先日 ある冊子を読んでいたら こんなことが書いてありました
「私たちは普通 死者とはいなくなった人のことを指します。 しかし、大切な人との死別によって悲しみや苦しみ、痛みや涙に会います。 それは亡くなったことで感じるのです。 そう考えれば死者は私に大きな影響を与えていることになります。 その人をいなくなったとするのはおかしなことです。 死者はいなくなったのではなく、死者として存在している。 死者となった亡き人と出会うのだ」 と それは「死者との出会い直し」だと
なるほど 私自身に当てはめてみると 心の中ではいつも父や母は生きています 時には、祖父や祖母も そして小さい頃に一緒に生活していた もう一人のばあちゃんも
わたしにとっては それが 「死者としての出会い直し」 「死者と共に生きる」 ということなのだと思います
さて、今年の報恩講です 中日(十月二十二日)は即位礼正殿の儀という祝日です 日本国民として、新天皇の即位をお祝いする日です テレビでニュースを見たり 皇居周辺のパレードを見学される方々もいると思います
それでも誓海寺にお参りに来てくださる方がいると信じて 今年も厳粛に報恩講を勤めさせていただきます 浄土真宗の末寺にとっては最大の行事です 祖父母も両親も、毎年報恩講は一生懸命に勤めていました その姿は忘れることはできません
【お知らせ】 ① 名誉門徒総代の井上茂雄さんからプレハブ倉庫一式と除草用具一式を 寄贈していただきました 本山から功賞を受賞した記念です ありがとうございました
② 松井喜憲さんから、本堂用のお参り椅子を十脚寄贈していただきました ありがとうございました
③ 今年もスタンプラリー開催します 七回あるお勤めのうち三回お参り下さった方に 温泉三昧ギフトセット(入浴剤)を進呈いたします
④ 十月二十六日(土)メリケンアワーで、ハロウィンイベントを開催します 仮装をしてきた子どもにはもれなくお菓子をプレゼント さらにハロウィンビンゴがそろうと ケリン先生からおまけがあたります 是非ご参加ください
お参りに来てくれた人同士が 元気やったかいね と顔を合わせる お寺がそんな場所になってくれたらと思います
令和元年十月六日 誓海寺住職 醒井秀和
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