報恩講によせて
親鸞聖人のお手紙のなかに、次のように書かれてあるものがあります。 なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあいて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。
聖人八十八歳のときです。当時は全国的な大飢饉で、老若男女問わず多くの方々が亡くなられました。とても「あはれ」な惨状に心を痛めていたくことだと思います。 そして、次にこう書かれています。「ただし、生まれてきたものは必ずいのちを終えるという道理は、阿弥陀如来が説いていることで、いまさら驚くことではありません」と。 生まれてきたものが死に行くことは驚くべきことではない、と親鸞は言います。大人ならばすべての人が死んでいくことを知っているはずです。 そして、例外なく、自分も死んでいくということを。それでは、いったい驚くべきこととは、何であろうか。 人は病気で死ぬのでもなく、事故で死ぬのでもない。生まれてきたから死ぬのである。死にたくなければ、生まれなければいい。そして、授かったいのちは、「今日とも知らず、明日とも知らず」、いつ終わりを告げるのか分からない。 ならば、いつ死ぬとも分からないいのちが、今生きている。そのことが、驚きであり、不可思議だ。死ぬことに驚くのではなく、今生きていることがありがたい。そう気づいたときに、自分の生き方を見つめ直すことができるのではないかという考えが、この手紙の根底にあると思います。
誓海寺本堂の改築が門徒総会で承認されてから、三ヵ月間でたくさんの御懇志をいただき誠にありがとうございます。誓海寺門徒の方々をはじめ、内日角にお住まいの方々や、他地区の有縁の方々にも、多大なるご理解とご協力を賜り、感謝いたしております。 鐘楼堂の横に、勧進のご芳名看板が立ち上がっています。ご厚意を示してくださった方々の名前と志納額に間違いがあっては大変失礼なことです。 お寺に立ち寄りの際は、念のためご確認をお願いいたします。もし誤記があれば、お知らせください。急いで訂正いたします。 先日、お配りした「誓海寺だより」では、八月三十一日現在の志納状況は、目標額の74%であるとご報告申し上げています。この数字は、改築委員会の資金口座にすでに入金されている金額です。ですから、これから入金予定の懇志金は、含まれていません。 分割で納めてくださっていらっしやる方もいれば、定期預金の満期を待って一括で納めてくださる予定の方もいらっしやいます。さらに改築委員会は、内日角全戸に趣意書をもって勧募のお願いにあがりましたし、ご縁のある方すべてにご協力を呼びかけました。委員会としては、もうひと踏ん張りしなければならないと思っております。 さて今年の報恩講ですが、現在の本堂での最後の報恩講となります。来年は工事中のため、報恩講は一年間お休みとなります。 昔の報恩講は、参詣者も多く、境内地では出店がたくさん並び、子どもたらが遊んだという話もよく聞きます。また、内日角に嫁いで来たばかりのお嫁さんが、着物を着てお参りに来るという習慣もあったそうです。 今は時代も変わりました。再来年の新しい本堂では、内日角の内外を問わず、多くの世代の方々がお寺に足を運んでくがさるように、努力していきたいと思っております。 今年は布教使に藤田秀明氏をお招きしました。 誓海寺では、長年にわたって毎年法話をお願いしてきました。誓海寺の歴史の一部を支えてくださったと言っても過言でありません。現本堂最後の報恩講には、ふさわしい方です。是非、お参りください。 平成二十四年十月吉日 誓海寺住職 醒井秀和
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