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誓海寺
かほく市内日角 真宗大谷派 醒井山誓海寺  

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本堂改築趣意書
  醒井山誓海寺本堂改築 趣意書

 時下益々ご清栄のこととお慶び申しあげます。
 平素、誓海寺の宗門に日頃から格別のご支援とご協力をお寄せいただき厚くお礼申しあげます。
さて、誓海寺は天文十三年(1554年)道願によって開基され、内日角の村立てと同時に450有余年の歴史を刻み、現住職で18代目を数えます。
 この永い歴史の中で、我々門信徒並びに地域の人々の聞法の場として深く心のよりどころとなってきたところです。
 現本堂は大正九年(1920年)に改築され、九十有余年の歳月を経ております。このため、老朽化が進み、内陣や脇座敷など傾きかけている上に、シロアリや雨漏り被害が出ており、さらに、耐震構造の必要性を勘案しますと、このまま、放置し難い状況にあり、修理や改修では将来にわたって維持費が嵩むこととなります。
 醒井家ではこれまでに隣接地を買収するなど、改築に向ける強い要望と熱意があります。
 併せてこの度ご好意により隣接地を寄付頂くこととなり、大幅に境内地が拡張される事になりました。
 このようなことから、改築準備委員会を立ち上げ、近年立てられた寺院の事例調査などを実施し、検討を進めてまいりました。
 慎重審議を重ね、平成24年6月10日の臨時門と総会におきまして、本堂を「改築」するとの結論にいたりました。浄土真宗の本堂は、伝統的に「開法の場」であり、聴聞をする門信徒のための場所として、誓海寺に有縁の人々にとって、新たな出会いの場を後世に伝え、さらなる活性化をいくことが肝要であります。
 さらに、新本堂の落慶が親鸞聖人750回御遠忌法要、蓮如上人500回御遠忌法要と内日角壮誓会発足30周年記念式典が執行できるご縁となればこの世代に生を受けた門信徒のこの上ない喜びであります。
 新本堂は木造瓦葺きで約97坪、工事予算は本体工事約2億1000万円で来年春の着工を目標に準備を進めており、先祖方のお願いに応え、後世に残すべき責任を担う大事業であります。
 しかし、経済環境の厳しい昨今、広く有縁の方々のお力添えを願わなくてはこの事業を成し遂げることは容易ではありません。
 つきましては、何かと出費も多い時節柄、誠に恐縮に存じますが、右趣意をご理解意いただき、本堂改築に対し御懇志賜らんことを伏してお願い申し上げる次第であります。
 末筆に貴家の御発展とご一統様の御多幸を心より念じ申し上げます。
 なお、県外在住の皆様方におかれては直接お尋ねところでありますが、諸般の事情をご賢察の上、甚だ勝手ではございますが同封振替用紙をご利用いただきますようお願いいたします。
                                               合掌
平成24年7月吉日
 石川県かほく市内日角ニ‐115
 醒井山誓海寺

                              第18代住職          醒井 秀和
                              第17代住職(前住職)     醒井 秀彰
                              誓海寺本堂改築委員長   内田 邦夫
                              誓海寺責任門徒総代     澤本 集市

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夏のおはなし会:内日角に伝わる昔ばなしなど
夏のおはなし会

日時 平成24年8月4日(土) 午前11時~12時
場所 内日角誓海寺本堂
対象 小学生から大人まで
内容 
昔話を、楽しいギター演奏とともに語ります  
内日角の昔話
 「ハラマキのむじなに騙された弥助どん」
 「不思議な象牙」
 「鮫に吞まれたお医者さま その名もドクトル・ビーカルト」
 「宝の原」住職さんの絵本読み聞かせ ほか
    みんなさそって遊びに来てね
    入場は無料 飲物付き
出演 
奈良井伸子さん(わらべうたとえんげきの広場 はちみつ)
岩山のりお(thanks カンパニー)

主催:内日角壮誓会
共催:内日角子供会
後援:内日角公民館
真宗大谷派 醒井山 誓海寺とは
真宗大谷派 醒井山 誓 海 寺

地図002
所在地: 石川県かほく市内日角ニ115
宗 派: 真宗大谷派 醒井山 誓海寺
ご本尊: 阿弥陀如来
宗 祖: 親鸞聖人(1173年~1262年)
教 義: 阿弥陀如来の本願を信じ、念仏を申せば、必ず仏になる身に定まる。
その後は、そのご恩に感謝する念仏を唱えていく。


A.開 基
A.開 基
  天文23年(1554年)道願(どうがん)によって開基。
  加賀は一向一揆の時代、中央は室町末期で戦国時代に入って行く。
  貞享2年(1685年)加賀藩が加賀・越中・能登の三州の寺社から
由緒を出させたものが「加越能寺社由来上」として出版されている。
 この中で「誓海寺」は、
「一、当寺開闢者、天文弐拾三年道願与申僧寺建立仕候。
至当歳百三拾弐年、住持拙僧迄七代罷成候。
当寺代々加州加賀郡内日角村に今以居住仕、居屋敷地子地に罷在候」
加州加賀郡内日角村 東方浄土真宗 誓海寺 慶祐 貞享弐年六月四日」

と記載されている。
これを訳すると、「誓海寺は天文23年に道願と申す僧が寺を建てた。
それから今年で432年になる。住職は17代になる。
当寺は代々、内日角村に住んでいて、その土地は「地子」地である」となる。
このことから、誓海寺は、天文23年(1554年)に道願によって開基された。
この時代は加賀では蓮如上人が教勢を広めたあとの一向一揆の時代であった。
主な史実をあげると、文明3年(1471年)蓮如上人は吉崎に御坊を開く。
ここでお文を出し各地を布教し、念仏の教えが広まり吉崎への参詣者が急増。
長享2年(1488年)5月一向一揆勢は蜂起して、高尾城(金沢)を攻め、
6月9日高尾城主加賀の守護富樫政親は自害。
加賀は「百姓の持ちたる国」となる。
享禄4年(1531年)開5月、加賀の御山派(河北の本泉寺、江沼郡の光教寺、
能美郡の松岡寺、石川郡の願得寺を中心とする地元派。小一揆側)と
越前山内の超勝寺・本覚寺ら(大一揆側)と合戦となる。
7月、下間頼盛らの京都本願寺勢が加勢、本泉寺・松岡寺・願得寺が焼失し、
本願寺派が勝利した。(大小一揆という)
天文15年(1546年)金沢御堂開設。
天正8年(1580年)4月織田軍により金沢御堂落ちる。
最後まで残っていた鳥越城も落ちる。
この金沢御堂は当初御堂衆が本願寺から派遣され、信仰の儀式の中心であったが
後には坊官が派遣され加賀支配の政庁となっていった。
こうして加賀の一向一揆は約100年の歴史に幕を閉じるが、当寺のみではなく
近隣の寺院がこの頃に開基されていて、蓮如上人の教勢拡大の大きな影響を
思わざるをえない。
B.寺 号
B.寺 号
慶安5年(1652年)に「誓海寺」と称することを許される。
誓海寺と称したのは、誓海寺のご本尊が河北潟から上がったものであり、
潟(海)に誓うことから誓海寺としたのである。

歴史は移って、慶長8年(1603年)徳川家康は江戸に幕府を開き、
元和元年(1615年)に豊臣家を滅ぼし、徳川時代に入って行く。
「誓海寺」が創建された当時はまだ寺号もない念仏道場であったと考えられる。
当時の組織は次のようなものであったといわれる。
本願寺⇒一家衆(蓮如の血縁者の寺。若松の本泉寺など)⇒大坊主(津幡の弘願寺、
木越の光徳寺、大田の受得寺、才田の崎田坊) ⇒末寺⇒道場
慶安5年(1652年)に寺号が許された。
その申物帳(申請書)が京都の大谷大学に残っている。
それは次の通り。
「寺号望(印)誓海寺と御免裕学」(裕学は当時の住職)
本願寺の出版物によれば、各地で寺号の取得が最も活発に行われたのは
17世紀中頃であり、ちょうどこの頃である。

C.琢如上人のご消息
C.琢如上人のご消息
ご本尊が河北潟から上がったことを証明する文書である。
寺号の申請・許可のあった9年後の寛文元年(1661年)4月15日付で、
東本願寺第14世法主の琢如上人から、当寺住職裕学にご消息(手紙)が
発行されていて現存している。
琢如消息
今度その元においては、阿弥陀如来の木像一体海中より出現ましましける
よし聞及候
末代の不思議たる事共存せす候。
是遍に具縛の凡愚こかつの下類に普く随類遍道の結縁を垂まして
ことことく皆安養の本国へ往生せしめんか為の方便にて候。
誠に入仏法の因縁時節到来と思ひしられて候へは、はやくこれらのおういんに
打驚き信心決定して往生浄土の素懐を遂へき事、肝要にて候。(以下略)
あなかしこあなかしこ
 寛文元年四月十五日 琢如(花押)
                   加州金津庄内日角村 裕学坊江

ご本尊が河北潟から上がり、それにちなんで寺号が付けられたことが
京都本山にまで話しが伝わり、時の法主が手紙をしたため当寺に送られたもので
大切な手紙である。
D.檀家制度ができる
D.檀家制度ができる
 誓海寺は当初念仏道場として発足し、お講を開き蓮如上人のお文を読み、
 説教をし、「正信偈」のおつとめし世間話をする場所としての役割を
果たしていたと思われる。
 徳川時代に入って、徳川幕府はキリスト教を禁止する一方で、
寺から檀家の人がキリシタンではなく、その寺の門徒であることを示す
証文を出させたのが寛永12年(1635年)であった。
その後、寛永17年(1640年)には幕府は家ごとの宗旨を調査した
宗旨人別帳を作った。
これが結果的に戸籍として機能した。
これで檀家制度が確立し、寺と檀家との関係は緊密となっていった。
(尚、古文書は残っていない)
E.鈴木家の古文書
E.鈴木家の古文書
   西田幾多郎の先祖にあたる人が当寺に嫁入りしたことを示す古文書である。
   鳥越村の釜清水で昔 十村役を勤めていた鈴木家に
   今も古文書
「先祖由緒兼一類附書上申帳」
「文化七年十月 能美郡 十村 釜清水村 所兵衛」が現存している。
文化七年(1810年)に十村役の鈴木所兵衛が一門のことを書き残したもので、
この中で
一、 兄 河北郡十村 森村 藤蔵
一、 娘 河北郡 内日角村 誓海寺 妻
一、 孫 河北郡 内日角村 誓海寺 新発意 民郷
一、 同  右 同 所         大二
一、 同  右 同 所         門郷
 とある。
   藤蔵は西田幾多郎家の2代目で弟の所兵衛が鈴木家へ婿入りし、
   その娘が当 誓海寺に嫁入りし、男の孫が3人いたと書き残している。
   口伝によれば、釜清水から内日角には籠に乗って嫁入りしたと伝わっている。
   そして在家から寺へ嫁入りするのは大事なご縁であると
   蓮如上人の木彫坐像とそれを納める厨子とを持って来たが、
   これは今も大事に保管されている。
F.本堂再建・梵鐘
F-1.本堂再建
小さかった本堂を現在の規模に拡大(約2倍)したのは、大正9年である。
    当時の寄贈名簿を見ると北海道の門徒から多額の寄付と近隣の門信徒から
    松などの木材の寄進が目につく。
     大正9年2月15日    起工式
     大正9年5月11日    立柱式
     大正9年12月4日~6日 御遷仏式及び宗祖親鸞聖人六百五十回忌法要
     その前明治40年3月に
        本尊宮殿 北海道小樽在住門信徒寄進
        前 卓  在所門徒若連中寄進
     があり、その供養会を明治40年3月18日~20日に行った。
本堂01
本堂01

F-2.梵 鐘
 大正15年11月16日に高岡 老子製作所の梵鐘の供養会を行ったが、昭和17年11月大東亜戦争に協力するため梵鐘を国に供出した。
 戦後、京都の若林製作所の梵鐘を求め、昭和25年3月22日~23日、梵鐘供養会及び蓮如上人四百五十回御遠忌法要を行った。
 また、昭和63年10月23日に梵鐘堂の新築及び本堂の改修工事の
落慶法要を執行した。 
梵鐘01



A.ご本尊
A.ご本尊 
恵心僧都(942年~1017年)の作と伝わる河北潟から上がった仏像である
本尊01
誓海寺のご本尊は阿弥陀如来像(木像・立像丈2尺8寸)で、  
 ふっくらした感じで黒く神々しい感じがする。
恵心僧都は真宗七高祖の第六祖源信のことであり、
比叡山で修行し、日本の浄土教の先達であり、
阿弥陀如来像を多数彫刻したといわれ、
今も各所で恵心僧都作といわれる仏像が残っている。
先般、奈良国立博物館に写真を同封し照会してみたところ
「写真を見ての感想としては・・・
このご本尊は平安時代末期12世紀頃の作かと見受けられます」
との返書があり、かなり歴史の古い仏像ではないかと推測される。

誓海寺の開基は天文23年(1554年)である。(当時は道場)
口伝によれば天正12年(1584年)末森の合戦で敗れた佐々成政は
横山・上田名の寺を焼き払って河北潟に守りご本尊を捨てて、
津幡の鳥越へと逃げた。
いつの頃か河北潟で漁をしていた内日角の漁師が網に仏像がかかり、
一度は潟へ捨てたが、再び網に仏像がひっかかったので、
これも何かの縁だと思って持って帰り寺の本尊とした。
誓海寺の寺号は慶安5年(1652年)9月に本山から免許がおりているが、
本尊が潟(海)から上がったので海に誓うということで
「誓海寺」としたのである。
寺号の免許がおりた9年後の寛文元年(1661年)4月15日付で、
当時の東本願寺第14代法主「琢如上人」から当時の誓海寺住職「裕学」宛に、
次のようなご消息(手紙)が寄せられている。
 今度その元においては、阿弥陀如来の木像一体海中より出現ましましけるよし
   聞及候
 末代の不思議たる事共存せす候。
 是遍に具縛の凡愚こかつの下類に普く随類遍道の結縁を垂まして
  ことことく皆安養の本国へ往生せしめんか為の方便にて候。(以下略)
  あなかしこあなかしこ
  
ご消息から誓海寺のご本尊が河北潟から上がったのは事実であり、この話が東本願寺の法主の耳に入り、
  法主が感激されてわざわざご消息をしたためられて、ご下賜たまわったのである。
B.蓮如上人坐像(木像) 
B.蓮如上人坐像(木像)     
蓮如上人が合掌した坐像が厨子に入っている。
鳥越 鈴木家から誓海寺へ嫁入りした人が持参した。
誓海寺の本堂内陣にひとつの厨子があるが、この中に座布団3枚の上に座った
蓮如上人の合掌した座像(木像)がある。
これは鳥越鈴木家に残っている文化7年(1810年)の古文書に記載されている。
当時の鈴木家当主所兵衛の娘さんが誓海寺へ嫁入りした時に持ってきたもので
あり、口伝によれば在家の者が寺へ嫁入りすることは大事なご縁であり、
特に配慮したものであると伝わっている。
尚、鳥越は加賀一向一揆の最後の砦であった所で蓮如上人とも関係の深い所である
第一回本堂改築委員会
第一回本堂改築委員会

平成24年6月30日(日)午後6時~
場所 誓海寺本堂
参加 31名
議題
1) 懇志御芳名看板建立について
2) 勧募御依頼計画について
3) 改築委員会の内規について
4) 各委員会の取り組みについて
・財務・募財、工事施工・監督、仏具・調度品調達、式典執行、庶務・広報・記録委員会


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