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誓海寺
かほく市内日角 真宗大谷派 醒井山誓海寺  

A.ご本尊
A.ご本尊 
恵心僧都(942年~1017年)の作と伝わる河北潟から上がった仏像である
本尊01
誓海寺のご本尊は阿弥陀如来像(木像・立像丈2尺8寸)で、  
 ふっくらした感じで黒く神々しい感じがする。
恵心僧都は真宗七高祖の第六祖源信のことであり、
比叡山で修行し、日本の浄土教の先達であり、
阿弥陀如来像を多数彫刻したといわれ、
今も各所で恵心僧都作といわれる仏像が残っている。
先般、奈良国立博物館に写真を同封し照会してみたところ
「写真を見ての感想としては・・・
このご本尊は平安時代末期12世紀頃の作かと見受けられます」
との返書があり、かなり歴史の古い仏像ではないかと推測される。

誓海寺の開基は天文23年(1554年)である。(当時は道場)
口伝によれば天正12年(1584年)末森の合戦で敗れた佐々成政は
横山・上田名の寺を焼き払って河北潟に守りご本尊を捨てて、
津幡の鳥越へと逃げた。
いつの頃か河北潟で漁をしていた内日角の漁師が網に仏像がかかり、
一度は潟へ捨てたが、再び網に仏像がひっかかったので、
これも何かの縁だと思って持って帰り寺の本尊とした。
誓海寺の寺号は慶安5年(1652年)9月に本山から免許がおりているが、
本尊が潟(海)から上がったので海に誓うということで
「誓海寺」としたのである。
寺号の免許がおりた9年後の寛文元年(1661年)4月15日付で、
当時の東本願寺第14代法主「琢如上人」から当時の誓海寺住職「裕学」宛に、
次のようなご消息(手紙)が寄せられている。
 今度その元においては、阿弥陀如来の木像一体海中より出現ましましけるよし
   聞及候
 末代の不思議たる事共存せす候。
 是遍に具縛の凡愚こかつの下類に普く随類遍道の結縁を垂まして
  ことことく皆安養の本国へ往生せしめんか為の方便にて候。(以下略)
  あなかしこあなかしこ
  
ご消息から誓海寺のご本尊が河北潟から上がったのは事実であり、この話が東本願寺の法主の耳に入り、
  法主が感激されてわざわざご消息をしたためられて、ご下賜たまわったのである。
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B.蓮如上人坐像(木像) 
B.蓮如上人坐像(木像)     
蓮如上人が合掌した坐像が厨子に入っている。
鳥越 鈴木家から誓海寺へ嫁入りした人が持参した。
誓海寺の本堂内陣にひとつの厨子があるが、この中に座布団3枚の上に座った
蓮如上人の合掌した座像(木像)がある。
これは鳥越鈴木家に残っている文化7年(1810年)の古文書に記載されている。
当時の鈴木家当主所兵衛の娘さんが誓海寺へ嫁入りした時に持ってきたもので
あり、口伝によれば在家の者が寺へ嫁入りすることは大事なご縁であり、
特に配慮したものであると伝わっている。
尚、鳥越は加賀一向一揆の最後の砦であった所で蓮如上人とも関係の深い所である